JOURNAL

VOL.6 金融街のファッションコードを変えた『ウォール街』

VOL.6 金融街のファッションコードを変えた『ウォール街』

©AJ Pics / Alamy 1987年10月19日にニューヨーク市場はブラックマンデーで大暴落していますが、その2ヶ月後の12月11日に公開された『ウォール街』は、違ったインパクトをアメリカの金融街にもたらしました。 公開後、バドやゲッコーのスタイルをマネする金融マンが、ウォール街に溢れかえったのです。 彼らは、白襟のシャツを誂え、肩の張ったダブルのスーツを身に纏っていました。もちろん、ジャケットの内側からはサスペンダーを覗かせています。 そうやって装った都市の若い専門職たちは、のちに「ヤッピー(Young Urban Professional)」と呼ばれるようになります。 映画の衣装は、その時代の空気を写し取るものですが、『ウォール街』は逆でした。映画の中の着こなしが金融街に広がり、時代を反映するスタイルを作り上げたのです。 ヤッピーの着こなしには、ルールがあります。まず、真っ先に挙げられるのがストライプスーツの着こなしでしょう。同じ縦縞であっても、点線状の細いピンストライプと、輪郭のぼやけたチョークストライプでは、意味合いがまるで異なります。ストライプのスーツは、その縞が太くなり、間隔が広くなるほど、ステータスが上がります。作中でゲッコーが大胆なチョークストライプのダブルを選んだのは、彼の野心と実績の証明なのです。 色にも掟があります。ネイビーは権威、チャコールは信頼。そして英国では「No brown in town」という言葉がある通り、ブラウンのスーツは御法度です。しかし、ゲッコーはこの掟も平然と破ってみせます。これは、彼が旧来の紳士階級の出身でないこと、つまり成り上がりのアウトサイダーであることを示しています。 白襟に色柄のボディを合わせたウィンチェスター・シャツは、襟だけ取り替えて洗えた時代の名残ですが、80年代には「シャツを誂えている」ことの印になりました。 ベルトループのないパンツ、ダブルカフとカフリンクス、袖の本切羽など、ゲッコーの装いはどれも既製品では手に入らないものばかりですが、それこそが「ヤッピーらしい」スタイルなのです。 スーツは形式の美学です。重要視すべき掟がそこにはあり、掟に従順であることでスタイルが出来上がります。ヤッピーのスタイルはアメリカ映画の中で度々反復されることによって、より強固なものになっていったのです。

VOL.6 金融街のファッションコードを変えた『ウォール街』

©AJ Pics / Alamy 1987年10月19日にニューヨーク市場はブラックマンデーで大暴落していますが、その2ヶ月後の12月11日に公開された『ウォール街』は、違ったインパクトをアメリカの金融街にもたらしました。 公開後、バドやゲッコーのスタイルをマネする金融マンが、ウォール街に溢れかえったのです。 彼らは、白襟のシャツを誂え、肩の張ったダブルのスーツを身に纏っていました。もちろん、ジャケットの内側からはサスペンダーを覗かせています。 そうやって装った都市の若い専門職たちは、のちに「ヤッピー(Young Urban Professional)」と呼ばれるようになります。 映画の衣装は、その時代の空気を写し取るものですが、『ウォール街』は逆でした。映画の中の着こなしが金融街に広がり、時代を反映するスタイルを作り上げたのです。 ヤッピーの着こなしには、ルールがあります。まず、真っ先に挙げられるのがストライプスーツの着こなしでしょう。同じ縦縞であっても、点線状の細いピンストライプと、輪郭のぼやけたチョークストライプでは、意味合いがまるで異なります。ストライプのスーツは、その縞が太くなり、間隔が広くなるほど、ステータスが上がります。作中でゲッコーが大胆なチョークストライプのダブルを選んだのは、彼の野心と実績の証明なのです。 色にも掟があります。ネイビーは権威、チャコールは信頼。そして英国では「No brown in town」という言葉がある通り、ブラウンのスーツは御法度です。しかし、ゲッコーはこの掟も平然と破ってみせます。これは、彼が旧来の紳士階級の出身でないこと、つまり成り上がりのアウトサイダーであることを示しています。 白襟に色柄のボディを合わせたウィンチェスター・シャツは、襟だけ取り替えて洗えた時代の名残ですが、80年代には「シャツを誂えている」ことの印になりました。 ベルトループのないパンツ、ダブルカフとカフリンクス、袖の本切羽など、ゲッコーの装いはどれも既製品では手に入らないものばかりですが、それこそが「ヤッピーらしい」スタイルなのです。 スーツは形式の美学です。重要視すべき掟がそこにはあり、掟に従順であることでスタイルが出来上がります。ヤッピーのスタイルはアメリカ映画の中で度々反復されることによって、より強固なものになっていったのです。

VOL.5 ショルダーが暴く出自と野心

VOL.5 ショルダーが暴く出自と野心

©Photo 12 / Alamy この映画において最も象徴的なのは、「欲は善である」という言葉。ゴードン・ゲッコーのキャラクターを端的に表したこのセリフは、「欲は導く。欲は物事を明確にし、道を開き、発展の精神を磨き上げる」と続きます。 その時の彼の衣装は、ネイビーのダブルブレストに白いダブルカフのシャツ、ドット柄のタイ、白いポケットチーフ。四つボタンの一つ掛け、ベントなし。教科書どおりの正統な着こなしではありますが、異様なまでに肩が張り出しています。 衣装を担当したフラッサーは、シャツの肩にまで薄いパッドを入れ、カフを広く、襟先を鋭くしたといいます。いうまでもなく、ゲッコーの身体をより大きく、より強く見せるためです。 また、別の場面では、ダブルのピンストライプのスーツにボーダーのシャツを合わせるという型破りな着こなしで、ゲッコーの傲慢さを描いています。 チャーリー・シーン演じるバド・フォックスのスーツは、よりわかりやすく、ステータスを示す舞台装置となっています。バドは元々、証券会社で一介のサラリーマンとして働いていました。 ある日、ゲッコーという成功者に出会い、葛藤しながらもゲッコーのインサイダー取引の手助けをすることになり、やがてかりそめの出世を手にすることになります。彼が富を得るのにしたがって、バドの装いもまたステップアップしていきます。 バドが最初に登場するシーンでは、体に合っていない灰色の吊るしのスーツ、ボタンダウンのシャツ、地味な色のネクタイ、力のないポケットチーフという、真面目でパッとしないスーツを身に纏っています。 しかし、ゲッコーの世界に入り込むようになると、バドのスタイルは変わっていきます。派手なサスペンダーを吊り、白襟のシャツを着るようになり、腕時計はカルティエになり、手首には金のブレスレットが光ります。 ゲッコーの模倣者になっていく過程が、台詞ではなく服で描かれるのです。しかもそれは、ただ高級な装いを纏うようになるという単純なものではありません。ゲッコーが独自のスタイルを確立しているのに対し、バドのスタイルはステレオタイプな「成金趣味」に留まるものと言っていいでしょう。 バドの体に馴染みきらない高級な仕立てのスーツは、エンディングで迎える彼の破滅を予言していたのです。

VOL.5 ショルダーが暴く出自と野心

©Photo 12 / Alamy この映画において最も象徴的なのは、「欲は善である」という言葉。ゴードン・ゲッコーのキャラクターを端的に表したこのセリフは、「欲は導く。欲は物事を明確にし、道を開き、発展の精神を磨き上げる」と続きます。 その時の彼の衣装は、ネイビーのダブルブレストに白いダブルカフのシャツ、ドット柄のタイ、白いポケットチーフ。四つボタンの一つ掛け、ベントなし。教科書どおりの正統な着こなしではありますが、異様なまでに肩が張り出しています。 衣装を担当したフラッサーは、シャツの肩にまで薄いパッドを入れ、カフを広く、襟先を鋭くしたといいます。いうまでもなく、ゲッコーの身体をより大きく、より強く見せるためです。 また、別の場面では、ダブルのピンストライプのスーツにボーダーのシャツを合わせるという型破りな着こなしで、ゲッコーの傲慢さを描いています。 チャーリー・シーン演じるバド・フォックスのスーツは、よりわかりやすく、ステータスを示す舞台装置となっています。バドは元々、証券会社で一介のサラリーマンとして働いていました。 ある日、ゲッコーという成功者に出会い、葛藤しながらもゲッコーのインサイダー取引の手助けをすることになり、やがてかりそめの出世を手にすることになります。彼が富を得るのにしたがって、バドの装いもまたステップアップしていきます。 バドが最初に登場するシーンでは、体に合っていない灰色の吊るしのスーツ、ボタンダウンのシャツ、地味な色のネクタイ、力のないポケットチーフという、真面目でパッとしないスーツを身に纏っています。 しかし、ゲッコーの世界に入り込むようになると、バドのスタイルは変わっていきます。派手なサスペンダーを吊り、白襟のシャツを着るようになり、腕時計はカルティエになり、手首には金のブレスレットが光ります。 ゲッコーの模倣者になっていく過程が、台詞ではなく服で描かれるのです。しかもそれは、ただ高級な装いを纏うようになるという単純なものではありません。ゲッコーが独自のスタイルを確立しているのに対し、バドのスタイルはステレオタイプな「成金趣味」に留まるものと言っていいでしょう。 バドの体に馴染みきらない高級な仕立てのスーツは、エンディングで迎える彼の破滅を予言していたのです。

VOL.4 1ダースのスーツ、2ダースのシャツ

VOL.4 1ダースのスーツ、2ダースのシャツ

©Photo 12 / Alamy 映画の衣装は、観客に登場人物のキャラクターやバックグラウンドを伝えることができます。 それも、簡潔かつ鮮烈に。例えば、のちに金融街のドレスコードを一変させた映画『ウォール街』に出てくるビジネスマンのスーツスタイルは、彼らの出自や階級を饒舌に物語っています。 本作の要となるのは、2人の登場人物。生き馬の目を抜く金融業界に君臨する帝王ゴードン・ゲッコーと、そんなゲッコーに出会ったことをきっかけに虚栄の世界に憧れるウォール街の若手証券マン、バド・フォックス。 成功のためには手段を選ばないゲッコーをマイケル・ダグラスが、出世の甘い誘惑に導かれるバドをチャーリー・シーンが、それぞれ演じています。 ゴードン・ゲッコーの衣装を演出したのは、実際の金融街の大物たちを何人も顧客に持つ人物であり、メンズファッションの古典的名著『Dressing the Man』の著者としても知られる、ニューヨークの服飾家アラン・フラッサーです。 マイケル・ダグラスが後年「衣装がゲッコーという役柄をつかむ鍵になった」と語るほど、フラッサーの演出は際立っています。 元々、マイケル・ダグラスはラフな格好を好むカリフォルニアの若者でしたが、フラッサーはそんな彼に、自身の経営する店で12着のスーツ、24枚のシャツ、シルクのネクタイを誂えました。 スーツの縫製はニューヨークの名門テーラー、マーティン・グリーンフィールドが担当し、シャツは最高級のカスタムシャツや紳士服を手掛けるアレクサンダー・カバズが制作。 ゲッコーの衣装には映画全体の衣装予算のうち20%があてられたと言われており、撮影後にマイケル・ダグラスがその衣装をすべて買い取ったという逸話も残っています。 ゲッコーの着こなしの中でも象徴的なのが、サスペンダーでしょう。ジャケットを脱いでいるシーンはもちろんのこと、上着の内側からも存在感を発揮するサスペンダーは、ゲッコーのスタイルには外せない重要なピースです。 しかしながら、この演出は必要から生まれたものだったといいます。実は、マイケル・ダグラスはウエストが細いあまり、サスペンダーなしではパンツが落ちてしまったのです。 緻密な設計のもとに組み上げられたゲッコーのスタイリングですが、この一点だけは、フラッサーの計算が狂った部分なのかもしれません。

VOL.4 1ダースのスーツ、2ダースのシャツ

©Photo 12 / Alamy 映画の衣装は、観客に登場人物のキャラクターやバックグラウンドを伝えることができます。 それも、簡潔かつ鮮烈に。例えば、のちに金融街のドレスコードを一変させた映画『ウォール街』に出てくるビジネスマンのスーツスタイルは、彼らの出自や階級を饒舌に物語っています。 本作の要となるのは、2人の登場人物。生き馬の目を抜く金融業界に君臨する帝王ゴードン・ゲッコーと、そんなゲッコーに出会ったことをきっかけに虚栄の世界に憧れるウォール街の若手証券マン、バド・フォックス。 成功のためには手段を選ばないゲッコーをマイケル・ダグラスが、出世の甘い誘惑に導かれるバドをチャーリー・シーンが、それぞれ演じています。 ゴードン・ゲッコーの衣装を演出したのは、実際の金融街の大物たちを何人も顧客に持つ人物であり、メンズファッションの古典的名著『Dressing the Man』の著者としても知られる、ニューヨークの服飾家アラン・フラッサーです。 マイケル・ダグラスが後年「衣装がゲッコーという役柄をつかむ鍵になった」と語るほど、フラッサーの演出は際立っています。 元々、マイケル・ダグラスはラフな格好を好むカリフォルニアの若者でしたが、フラッサーはそんな彼に、自身の経営する店で12着のスーツ、24枚のシャツ、シルクのネクタイを誂えました。 スーツの縫製はニューヨークの名門テーラー、マーティン・グリーンフィールドが担当し、シャツは最高級のカスタムシャツや紳士服を手掛けるアレクサンダー・カバズが制作。 ゲッコーの衣装には映画全体の衣装予算のうち20%があてられたと言われており、撮影後にマイケル・ダグラスがその衣装をすべて買い取ったという逸話も残っています。 ゲッコーの着こなしの中でも象徴的なのが、サスペンダーでしょう。ジャケットを脱いでいるシーンはもちろんのこと、上着の内側からも存在感を発揮するサスペンダーは、ゲッコーのスタイルには外せない重要なピースです。 しかしながら、この演出は必要から生まれたものだったといいます。実は、マイケル・ダグラスはウエストが細いあまり、サスペンダーなしではパンツが落ちてしまったのです。 緻密な設計のもとに組み上げられたゲッコーのスタイリングですが、この一点だけは、フラッサーの計算が狂った部分なのかもしれません。

VOL.3 キャンパスのBest Dressed Men

VOL.3 キャンパスのBest Dressed Men

ニューイングランドの文化を理解する上で忘れてならないのは、大学キャンパスとの関係です。1930年代から40年代にかけて、プリンストン、イェール、ハーバードといった名門大学の学生たちが着こなしていたスタイルは、その後のファッションに大きな影響を与えました。仕立てのいい服を身に纏いながらも「着飾って見えない」スタイリングをしていた彼らを、当時の服飾評論家たちはBest Dressed Menと評しました。 1933年の『Apparel Arts』には「大学生たちの洗練された無頓着さ(studied negligence)は、彼らの間で良い趣味の基準とされている。アメリカの大学生が卓越した外見を保つ秘訣は、決して『着飾って見える』ことなく、常に『よく着こなされている』ことにある」と記されています。 この美学は素材選びに表れています。オックスフォードクロスのシャツ、ブラッシュ仕上げのシェトランドセーター、ハリスツイードのジャケット、フランネルのトラウザー。彼らは高級で都会的な印象の素材ではなく、キャンパスの雰囲気に相応しいカジュアルな質感を求めたのです。 1962年の『Sports Illustrated』誌は、「ニューヘイブンの仕立て店——J.プレス、フェン・ファインスタイン、チップ、アーサー・ローゼンバーグなど——の代表者たちが、ケンブリッジ行きの列車に乗り込み、若い紳士たちが何を着ているかを確認するために2年ごとの巡礼を行う」と記しています。洋服をつくる仕立て屋がキャンパスのBest Dressed Menを無視することはできなかったのです。 そして、ブルックス・ブラザーズ、J.プレスなどアメリカのアイビースタイルを作り上げたブランドを裏方から支えてきたのがSouthwickです。これらのブランドのアイテムの多くはSouthwickの工場で、熟練された職人によって作られていました。 アイビースタイルの黄金時代は、1930年代から1960年代半ばまで続きました。しかし、カウンターカルチャーの台頭、大学の入学基準の変化、そして社会全体のカジュアル化により、アイビースタイルは急速に衰退していきます。 それでも、ニューイングランドが生み出した美学と価値観は消えることはありません。現在においてもアイビーやプレッピーと呼ばれるスタイルは愛されており、数多くのブランドがこの伝統を参照しています。ニューイングランドのテーラリング文化は、単なるファッションではなく、その哲学として今も受け継がれているのです。

VOL.3 キャンパスのBest Dressed Men

ニューイングランドの文化を理解する上で忘れてならないのは、大学キャンパスとの関係です。1930年代から40年代にかけて、プリンストン、イェール、ハーバードといった名門大学の学生たちが着こなしていたスタイルは、その後のファッションに大きな影響を与えました。仕立てのいい服を身に纏いながらも「着飾って見えない」スタイリングをしていた彼らを、当時の服飾評論家たちはBest Dressed Menと評しました。 1933年の『Apparel Arts』には「大学生たちの洗練された無頓着さ(studied negligence)は、彼らの間で良い趣味の基準とされている。アメリカの大学生が卓越した外見を保つ秘訣は、決して『着飾って見える』ことなく、常に『よく着こなされている』ことにある」と記されています。 この美学は素材選びに表れています。オックスフォードクロスのシャツ、ブラッシュ仕上げのシェトランドセーター、ハリスツイードのジャケット、フランネルのトラウザー。彼らは高級で都会的な印象の素材ではなく、キャンパスの雰囲気に相応しいカジュアルな質感を求めたのです。 1962年の『Sports Illustrated』誌は、「ニューヘイブンの仕立て店——J.プレス、フェン・ファインスタイン、チップ、アーサー・ローゼンバーグなど——の代表者たちが、ケンブリッジ行きの列車に乗り込み、若い紳士たちが何を着ているかを確認するために2年ごとの巡礼を行う」と記しています。洋服をつくる仕立て屋がキャンパスのBest Dressed Menを無視することはできなかったのです。 そして、ブルックス・ブラザーズ、J.プレスなどアメリカのアイビースタイルを作り上げたブランドを裏方から支えてきたのがSouthwickです。これらのブランドのアイテムの多くはSouthwickの工場で、熟練された職人によって作られていました。 アイビースタイルの黄金時代は、1930年代から1960年代半ばまで続きました。しかし、カウンターカルチャーの台頭、大学の入学基準の変化、そして社会全体のカジュアル化により、アイビースタイルは急速に衰退していきます。 それでも、ニューイングランドが生み出した美学と価値観は消えることはありません。現在においてもアイビーやプレッピーと呼ばれるスタイルは愛されており、数多くのブランドがこの伝統を参照しています。ニューイングランドのテーラリング文化は、単なるファッションではなく、その哲学として今も受け継がれているのです。

VOL.2 Your clothing should look like you, not us.

VOL.2 Your clothing should look like you, not us.

グリエコ兄弟がつくるスーツは、確かな技術でそれまでのテーラリングの主流であった英国的な服作りを脱却し、「アメリカン・トラッド」と呼ばれるスタイルを完成へと導きました。それに代表されるのが美しくなだらかな肩のラインを描く「ナチュラルショルダー」です。 1920年代のジャケットのシルエットは画一的かつ極端なものでした。肩には重いパッドが入り、ウエストは極端に絞られ、深いプリーツが入る。グリエコ兄弟はそうしたトレンドに反抗するように、シンプルでクリーンなライン、身体の自然な形を尊重したシルエット、時代を超越したエレガンスを追求したのです。 また、スーツといえば「テーラーが手縫いであつらえる注文服」であった時代に、工場で量産する既製服化にも着手。マシンと職人の分業体制により、アメリカらしい合理的な生産体制を築き上げたのです。 こうした洋服づくりを続ける中でブランドの哲学を打ち立てました。それが「Your clothing should look like you, not us.=(あなたの服は、私たちではなく、あなた自身のように見えるべきだ)」という言葉です。服は着る人の個性を引き立てるものであり、服そのものが主張してはならない。これこそが、ニューイングランド地方に起源を持つSouthwickの哲学なのです。 この哲学を体現する4つのキーワードが「控えめなエレガンス」「耐久性と実用性」「知的洗練」「オーセンティシティ」です。 ニューイングランドの伝統では、富や地位を誇示することは品格に欠けるとされました。高品質な服を着ることは重要ではあるものの、それは他人に見せびらかすためのものであってはならない。そうした控えめな姿勢にこそエレガンスが宿るのです。 良い服の条件には「長く着られる」ことが挙げられます。流行に左右されないクラシックなデザインはもちろんのこと、耐久性のある生地、そして確かな仕立てでなければならない。これらを備えていなければ、真に実用的な洋服とは呼べないのです。 当時のアメリカでは服装は教養と洗練を示すものでした。しかし、決して服装だけで判断されることはありませんでした。真の紳士とは何を着ているかではなく、何を考え、どう行動するかで評価されるべきである。そうした知的洗練が求められました。 そして、トレンドに迎合せず、これらの信念を守り続けること。装飾や虚飾を限りなく排除し、オーセンティックであること。それを貫き続けたブランドこそが「本物」であると考えられているのです。

VOL.2 Your clothing should look like you, not us.

グリエコ兄弟がつくるスーツは、確かな技術でそれまでのテーラリングの主流であった英国的な服作りを脱却し、「アメリカン・トラッド」と呼ばれるスタイルを完成へと導きました。それに代表されるのが美しくなだらかな肩のラインを描く「ナチュラルショルダー」です。 1920年代のジャケットのシルエットは画一的かつ極端なものでした。肩には重いパッドが入り、ウエストは極端に絞られ、深いプリーツが入る。グリエコ兄弟はそうしたトレンドに反抗するように、シンプルでクリーンなライン、身体の自然な形を尊重したシルエット、時代を超越したエレガンスを追求したのです。 また、スーツといえば「テーラーが手縫いであつらえる注文服」であった時代に、工場で量産する既製服化にも着手。マシンと職人の分業体制により、アメリカらしい合理的な生産体制を築き上げたのです。 こうした洋服づくりを続ける中でブランドの哲学を打ち立てました。それが「Your clothing should look like you, not us.=(あなたの服は、私たちではなく、あなた自身のように見えるべきだ)」という言葉です。服は着る人の個性を引き立てるものであり、服そのものが主張してはならない。これこそが、ニューイングランド地方に起源を持つSouthwickの哲学なのです。 この哲学を体現する4つのキーワードが「控えめなエレガンス」「耐久性と実用性」「知的洗練」「オーセンティシティ」です。 ニューイングランドの伝統では、富や地位を誇示することは品格に欠けるとされました。高品質な服を着ることは重要ではあるものの、それは他人に見せびらかすためのものであってはならない。そうした控えめな姿勢にこそエレガンスが宿るのです。 良い服の条件には「長く着られる」ことが挙げられます。流行に左右されないクラシックなデザインはもちろんのこと、耐久性のある生地、そして確かな仕立てでなければならない。これらを備えていなければ、真に実用的な洋服とは呼べないのです。 当時のアメリカでは服装は教養と洗練を示すものでした。しかし、決して服装だけで判断されることはありませんでした。真の紳士とは何を着ているかではなく、何を考え、どう行動するかで評価されるべきである。そうした知的洗練が求められました。 そして、トレンドに迎合せず、これらの信念を守り続けること。装飾や虚飾を限りなく排除し、オーセンティックであること。それを貫き続けたブランドこそが「本物」であると考えられているのです。

VOL.1 「Made in New England」の源流

VOL.1 「Made in New England」の源流

ニューイングランド地方は、アメリカのテーラリング文化が誕生し、世界に影響を与え続けてきた聖地。産業革命から始まった繊維産業の歴史、名門大学のキャンパスで育まれた独自のスタイル、そして100年近くにわたって受け継がれてきた職人技術。これらすべてがニューイングランドの地で融合し、「アメリカントラディショナル」や「アイビースタイル」と呼ばれる文化を創り上げました。 1790年代、若きイギリス人サミュエル・スレーターは、イギリスの産業機密であった紡績技術を記憶に留めたままアメリカに渡り、ロードアイランド州ポータケットに最初の紡績工場を設立し、彼は後に「アメリカ産業革命の父」と呼ばれることになります。 そして19世紀に入ると、ニューイングランド地方、特にマサチューセッツ州は繊維産業の一大中心地として繁栄しました。フォールリバーは1875年までにアメリカ最大の繊維製造センターとなり数多くの工場が川沿いに立ち並びます。この産業基盤が、後のテーラリング文化の礎となったのです。 ローレンスとハバーヒルもまた繊維産業の黄金時代を体現する都市でした。エバレット・ミルズをはじめとする巨大な工場群は、ニューイングランドの産業力の象徴であり、働く何千人もの職人たちが、アメリカの衣料品産業を支えていたのです。 Southwickはこの豊かな伝統の重要な一翼を担ってきた存在です。1929年にマサチューセッツ州ローレンスで創業されて以来、ニューイングランドの職人気質と品質へのこだわりを体現した服作りを続けてきました。 1900年代初頭、Southwickの創始者であるニコラスとヴィート・グリエコ兄弟は、イタリアの小さな村からアメリカへと渡りました。2人は、ブルックリンでスーツのプレス業を営んだのち、ニューヨークで洋服の仕立て屋を成功させました。しかし第一次世界大戦の勃発により、店を閉じることに。彼らはマサチューセッツ州に移り、別の製造業者のもとで働きながらテーラーとしての技術を磨き、大量生産技術を研究していきます。そして1929年、Southwickの前身となる「グリエコ・ブラザーズ」をローレンスに設立したのです。

VOL.1 「Made in New England」の源流

ニューイングランド地方は、アメリカのテーラリング文化が誕生し、世界に影響を与え続けてきた聖地。産業革命から始まった繊維産業の歴史、名門大学のキャンパスで育まれた独自のスタイル、そして100年近くにわたって受け継がれてきた職人技術。これらすべてがニューイングランドの地で融合し、「アメリカントラディショナル」や「アイビースタイル」と呼ばれる文化を創り上げました。 1790年代、若きイギリス人サミュエル・スレーターは、イギリスの産業機密であった紡績技術を記憶に留めたままアメリカに渡り、ロードアイランド州ポータケットに最初の紡績工場を設立し、彼は後に「アメリカ産業革命の父」と呼ばれることになります。 そして19世紀に入ると、ニューイングランド地方、特にマサチューセッツ州は繊維産業の一大中心地として繁栄しました。フォールリバーは1875年までにアメリカ最大の繊維製造センターとなり数多くの工場が川沿いに立ち並びます。この産業基盤が、後のテーラリング文化の礎となったのです。 ローレンスとハバーヒルもまた繊維産業の黄金時代を体現する都市でした。エバレット・ミルズをはじめとする巨大な工場群は、ニューイングランドの産業力の象徴であり、働く何千人もの職人たちが、アメリカの衣料品産業を支えていたのです。 Southwickはこの豊かな伝統の重要な一翼を担ってきた存在です。1929年にマサチューセッツ州ローレンスで創業されて以来、ニューイングランドの職人気質と品質へのこだわりを体現した服作りを続けてきました。 1900年代初頭、Southwickの創始者であるニコラスとヴィート・グリエコ兄弟は、イタリアの小さな村からアメリカへと渡りました。2人は、ブルックリンでスーツのプレス業を営んだのち、ニューヨークで洋服の仕立て屋を成功させました。しかし第一次世界大戦の勃発により、店を閉じることに。彼らはマサチューセッツ州に移り、別の製造業者のもとで働きながらテーラーとしての技術を磨き、大量生産技術を研究していきます。そして1929年、Southwickの前身となる「グリエコ・ブラザーズ」をローレンスに設立したのです。